石原とは

石原良太郎

 社長の石原良太郎は、還暦を過ぎた63歳です。大手食品メーカーで薬品営業を15年、その後、25年のあいだ新規事業を担い、花卉事業、ボウリング場、スケートリンクなどのアミューズメント施設運営(役員)、フィットネスクラブや公共施設の受託などの施設運営、菓子製造会社の製造及び販売(社長)を行ってきました。事業の再生が主な仕事でした。
 いろいろな業界で豊富な人脈を培ってきたお陰でが、自分でデザインした会社を立ち上げることができました。やりたいことをやりながら、生涯現役を目指しています。

石原良太郎の職務経歴書

生年月日
1954年11月4日
現住所
神奈川県川崎市幸区堀川町
学歴
1978年3月 横浜国立大学 経営学部 卒業
職歴
1976年4月
明治製菓(株)入社
薬品水戸営業所 開業医担当プロパー(現在はMR)
薬品甲府営業所 山梨医科大学担当プロパー
薬品東京支店 特約店担当セールス(スズケン、大森薬品、東京医薬品等)
1991年7月
明治製菓(株)新事業開発室
1994年4月
(株)明治スポーツプラザ出向 取締役
1998年2月
(株)明治開発出向 常務取締役
1999年3月
(株)明治スポーツプラザ出向 常務取締役
2002年6月
(株)明治スポーツプラザ 代表取締役社長
2005年5月
明治アクアスポーツ(株)(旧東京ガススポーツ)代表取締役 兼務(16/5〜19/3)
2013年8月
(株)明治 グループ企画部 専任部長
2014年4月
道南食品(株)出向 代表取締役社長
2017年7月
(株)ロビーム 代表取締役社長

公職 等
社団法人日本フィットネス産業協会(経産省)監事(04/6〜06/5)理事(06/6〜08/5)
地域再生事業(総務省) 長野県白馬村 地域再生マネージャー(06/8〜07/3)
包括的職業能力評価制度整備委員会(厚生労働省) 委員(04/12〜05/9)

メディア情報

これまでに、たくさんのメディアに取り上げていただきました。マスコミ各社の方々に感謝申し上げます。日経産業や日刊工業、フィットネスマネジメントをはじめとする業界各誌に100件に近い記事を掲載していただきました。神奈川テレビ、千葉テレビ、テレビ大阪、北海道テレビにも出演しました。ありがとうございます。その中で特に記憶に残る記事を紹介します。

2016年10月「日経トレンディ」2016年11月号の記事です。翌年の6月に社長退任が決まっていました。業績回復やサイコロの再発売など、やるべきことはやったという達成感と寂しさの中でのインタビューでした。

2016年6月20日「函館新聞」「リーダーに聞くトップの視点」に取り上げられました。道南食品の社長になって約1年後のインタビューです。初めての製造業経営で面食らったことがたくさんありました。このころ、ようやく経営者としての自信がよみがえってきました。

2013年7月川崎商工会議所の会報誌「かいぎしょ」の冒頭記事「トップの部屋」に健康事業の社長としての理念を話しました。このインタビューの時には、秘密裏に明治スポーツプラザの全株式譲渡が決定していました。残る授業員のために折れそうになる気持ちを抱えながら精一杯見栄を切りました。

2012年8月3日「神奈川新聞」「川崎商工人」に取り上げられました。買収失敗の損害を指定管理でようやく取り戻した頃のインタビューでした。

2004年10月8日「日経新聞朝刊」「介護保険6年目のハードル」という記事に、明治スポーツプラザの社長としてインタビューに応じました。記者に私の名前を入れて欲しいと強くお願いしました。一流紙に名前がでたことを母に伝えたかった…。このインタビューの10日程前に母は突然亡くなっていました。

2004年5月老舗の業界誌「月刊レジャー産業資料」2004年5月号の記事です。明治スポーツプラザ4号店(ザバススポーツクラブ和光)を特集記事で掲載していただきました。会社も綿も絶好調の時期です。

2002年11月「フィットネスジャーナル」2002年11月号の冒頭記事「社長さんのオフタイム」に取り上げられました。趣味のダーツの話です。2002年6月に明治スポーツプラザの社長に就任しましたが、初めての記事掲載でした。両親に見せたらところ、とても喜んでくれました。