道南食品グランドデザインの骨子の一つは、営業の改革でした。卸店政策、OEMの位置付けなどランチェスター戦略の基本、弱者の戦略でした。明治グループに属しているためか、戦力が不十分なのに強者、大手の戦略に走り勝ちでした。また、明治品を優先するあまり、明治品以外の欠品に無頓着でした。営業、業務、製造の連携に問題がありました。問題のほとんどは、札幌の営業にありました。

札幌の顛末

 以前から札幌営業所は所長以外の営業員が次々と退職を繰り返しており戦力不足に陥っていました。2014年4月は所長と事務の2人でした。早速、小売店巡回のパートさんを入社させましたが、2週間で辞めました。そこで事務を担当していたOさんに営業兼務をお願いし急場をしのぎました。

 工場内で営業ができそうな人材を探したところKYさんが札幌行きを了解してくれましたので、2015年1月に赴任させました。同時に私も札幌に常駐し本格的に札幌の環境整備に取り組みました。アパートを借りるつもりでしたが、当時の企画管理部より、北海道の冬に一人住まいは命に関わると心配していただき、ホテル住まいということになりました。たしかに冬の北海道は吹雪で大変でした。一度は、厚別駅から営業所に向かって歩いているうちに、ホワイトアウトに遭い、方角を見失いました。携帯電話は低温で作動せず、営業所の皆さんに大変な心配をかけてしまいました。

 当時、事務所があまりに暗く、調度品もみすぼらしかったので、設計士に頼んで部屋のレイアウトを変え、机や椅子、棚を新調しました。棚は開架式で書類の出し入れが効率的になるようにしました。入り口はデザイナーに頼んで、ユッキーさんのイラストをデザインに盛り込み、明るいイメージにしてもらいました。

 社長の重点得意先訪問や事務仕事の効率化を行いました。同時に所長にKYさんの育成を指示しました。KYさんは卸店セールスとの同行販売や、千歳空港売店巡回など一生懸命取り組んでくれました。

 2015年5月、私は常駐場所を再び函館戻し、今後の売り上げ増を二人に託しました。うまくいくものと確信していましたが、6月のある日の夜、KYさんから私の携帯に電話がありました。泣きながらの電話でした。今の若者に「昭和の営業」(根性営業)は耐えられません。上司の過度な干渉にも耐えられません。柴田部長から厳重に注意させました。

 一計を案じ、前職の部下KMさんを契約社員として採用し8月末より札幌営業所に副部長として配属しました。KYさんを守るためでした。副部長に「所員の人間関係を気遣って下さい」とお願いして札幌に送り出しました。その頃、OEMの受注も増えて、道南食品始まって以来の明治品以外で単月一億円超を達成しました。

 しかし12月、雰囲気に耐えられないと今度は副部長が退職願を出してきました。明けて2016年、1月より明治より高見常務が赴任しました。直ちに営業本部長とし、4月より札幌に常駐してもらうことにしました。しかし3月になってKYさんから辞表が出ました。今から思えば、1年で15キロも体重が増えたのはストレスによるものだったのかもしれません。

 売上好調にもかかわらず戦力不足に陥りました。窮余の策で人材派遣会社に営業幹部候補を紹介してもらい、Tさん(42歳)を採用しました。Tさんは5月に入社し函館での1ヶ月の研修の後、札幌に赴任しました。この頃、高見常務に「北海道がチチチ。」「焦がしファッジ」の新製品発表会を仕切ってもらいました。

 7月、函館のS部長が、自宅で心筋梗塞のため緊急入院しました。幸いなことに今は後遺症もほとんどありませんが、直後は、昏睡状態が1週間も続き、皆で心配しました。2ヶ月後、覚悟してお見舞いにいきましたが、余りの元気さに驚きかつ喜んだことを覚えています。

 S部長の入院中は雲井さんが代わりに函館を回っていましたが、S部長の退院とともに札幌所長を函館所長に異動、本州方面の営業も兼務してもらうことにしました。札幌所長はT常務兼務としました。11月、人材派遣会社からの紹介でHさん(31歳)を札幌営業員として採用しました。12月、T常務は、ご家族の関係もあり明治お客様相談センターに異動になりました。

 2017年3月、体調を考慮して、S部長を業務部・倉庫環境グループに異動させました。函館所長は3月末付けで退職しました。2017年4月にTGさん(29歳)を採用しました。

 Tさんを4月に札幌営業所長に昇格させ、Oさん、Hさん、TGさんの4人体制としました。函館はKさんの担当として、HMさんを営業兼務としました。本州方面は福澤さんの担当にしました。続く…