1993年のある日、新事業開発部の森下部長に呼ばれ、フィットネスクラブの調査を命じられました。すでに高槻店はオープンしており、新潟店の企画に入っていましたが、業績が芳しくなく、当時の西原社長と管轄の新事業開発部は険悪な関係でした。

早速、文献をあさりましたが、当時はまだフィットネス産業は勃興期で、専門誌が発刊されているわけでもなく、「レジャー産業」の特集に取り上げられる程度でした。当時、新日鉄が「サンスポーツ」という施設を何軒か始めており、柏店に当時の役員を訪ねインタビューしました。同じ部の馬場さんからの紹介でした。馬場さんは元1万メートル日本記録保持者で、とても温和な優しい方でした。明治スポーツプラザの常務で派遣されていましたが、西原社長は、馬場さんの能力を認めていませんでした。さて、サンスポーツでは業界のことを根掘り葉掘り聞きましたが、「良く研究しているね、従業員の前では話せないから場所を変えよう」とのことになり、別の場所で駐車場問題を含め一般消費者の我が儘は普通ではない、上場企業には運営が難しいとの見解を述べました。

その後、高槻で西原さんにインタビュー、その夜、夜行で新潟に趨き、早朝、新潟駅で馬場さんに迎えられました。単身赴任の部屋に連れて行ってくれて、朝食後、新潟店の建設現場に案内してもらいました。