営業しなければものは売れない。待っているだけでは状況は変わらない。つまり芸術作品は自己満足であってはならない。価値観の違いを乗り越えてでも理解してもらうという客観性こそが大切なことなんです。価値観の違う人にも話しかけなければ、未来は何も変わらない。こういう世界共通の当然の話が、(日本の)若いアーティストの頭から抜けている…。ページ38
実力がある人間など世の中には掃いて捨てるほどいる。しかし、上位1パーセントの本物の天才以外は替えのきく存在だ。実力よりも評判、売り上げよりも伝説。極端に言えばそんなパンクな生き方をする人に大衆は魅せられる。ページ83
人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量確かに増やすことはできたが、食料の増加は、より良い食生活や、よりよい余暇には結びつかなかった。むしろ人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は平均的な狩猟民族よりも苦労して働いたのに、見返りに得られた食べ物は劣っていた。農業革命は史上最大の詐欺だったのだ。 では、それは誰の責任だったのか? 王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。犯人は小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモサピエンスがそれを栽培化したのではなく、逆にホモサピエンスがそれらに家畜化されたのだ。上巻ページ107
財務会計は外部に報告・開示するのが目的ですから、計算期間は事業年度です(通常は 1年間です)。一方工業簿記・原価計算は企業内部でのデータ把握も目的ですから、 1ヶ月を計算単位とすることが多いです。
608年、聖徳太子は3度目の遣隋使を派遣した。日本の発展のためには、隋と友好関係を結び、優れた文化を取り入れる必要があると考えたからだ。しかしさすがに前のような手紙を書くわけにはいかない。とはいえ、日本の天子を「王」と書くと、自ら冊封を認めることになる。そこで太子は「天皇」という言葉を生み出した。ページ40
北海道にはもう一つ、函館にある五稜郭の周辺にも大きな結界が張られています。ここにも、地脈・龍脈のエネルギーが強い場所の1つです。…ただしこの結界は五稜郭そのものために張られたものではありません。五稜郭を封じ込めるとか、あるいは守るとかそういう意味合いではないのです。では何のためかというと、北海道の玄関口を守るということです。 当時、新たな北の大地に渡ってきて、一番最初に目についた土地の力が強い場所は、五稜郭周辺でした。ですから1つは本州からおかしなもの、悪しきものが北海道に入らないようにすること、そしてもう一つは逆に北海道に棲むおかしなもの、悪しきものを本州に渡らせないようにすることが目的でした。ページ96
トランプ現象が明らかにしたのは、ほとんどの人は「事実(ファクト)」など求めていないということだ。右か左かにかかわらず、人々は読みたいものだけをネットで探し、自分たちを「善」、気に入らない相手に「悪」のレッテルを貼って、善悪二元論の物語を声高に語る。人の脳は部族対立に最適化するよう「設計」されており、直感的にはそれ以外の方法で世界を理解できない。ページ242
人も会社も、決して強くない。足りない部分を補ってくれる家族や仲間がいて、人も会社も初めて生きていける。僕ら兄弟もそうだ。お互いの弱いところは補い、強いところ最大限に後押しする。兄弟の放ち合う最大限のパワーが新しい活路を開いていく。ページ186
「もぐもぐタイム」では地元のお菓子やいちごを食べていました。それだけでも町おこしになっていました。北見市が全国に知れ渡ることにもなりました。その陰には本橋さんの地道な活動がありました。
…実際の取り組みは、今起きている問題の原因を特定した上で、それを取り除く「是正措置」と、それを一般化して問題発生のリスクを減らす「予防処置」に分けられる。前者が事後的な対応、つまり「守りの対応」であるのに対し、後者は事前的な「攻めの対応」といえる。いずれの対応でも大事なのは、根本原因を特定することだ。根本原因を特定できなければ有効な対策を立てられない。 そして根本原因の追求には、Whyの繰り返しが有効となる。さらに念頭におくべきことは、是正処置と予防処置も二者択一ではなく、両立させる計画を立てることだ。ページ198
…実際の取り組みは、今起きている問題の原因を特定した上で、それを取り除く「是正措置」と、それを一般化して問題発生のリスクを減らす「予防処置」に分けられる。前者が事後的な対応、つまり「守りの対応」であるのに対し、後者は事前的な「攻めの対応」といえる。いずれの対応でも大事なのは、根本原因を特定することだ。根本原因を特定できなければ有効な対策を立てられない。 そして根本原因の追求には、Whyの繰り返しが有効となる。さらに念頭におくべきことは、是正処置と予防処置も二者択一ではなく、両立させる計画を立てることだ。ページ198
…考古学クラブでは原口先生から色々なことを教わった。そんな原口先生の口癖は、「人生は短い」である。そして、その言葉のあとに、きまって次のようなセリフを付け加えた。「何でもいいから自分の歴史を残しなさい」この言葉は、その後私の頭の中で何度も繰り返される言葉となった。ページ89
http://tao-roshi.hatenablog.com/entry/20190912/1568254027
私が今あるのは、このおばさんの影響が非常に大きいと思っています。おばさんは、私が結婚してまもなく亡くなりました。お骨は、おばさんの郷里の北海道函館の東本願寺函館別院支院の廟に納められています。毎年夏になるとお参りに出かけます。以前は札幌に住んでいたおばさんの親戚の方と日にち合わせてお参りし、一緒にお酒を飲むのを楽しみにしていました。今その方も亡くなり、墓参りに行っても日帰りですが帰って来てきます。数年前、夏の時期に忙しく過ごしていたことから、今年はお墓参り行くのやめようかなと思ったことがありました。その時、たまたま一緒に仕事していた出版社の人にそんな話をしたら、「それはいけません。続けるべきです」としかられました。ページ116
1904年に始まった日露戦争で大国ロシアを破ったことから、日本の国際的な地位は上がり、条約改正を有利に進めることができるようになりました。その時の外務大臣,小村寿太郎は、1911年関税自主権を回復することに成功しました。不平等条約を締結してから50年余が経っていました。こうしてアジアの中に、欧米に肩を並べるまでになった国、日本が誕生したのです。ページ170
ある日、見舞いに来てくれた望東に、晋作は「面白きこともなき世に面白く」と上の句を示した。すると望東は「すみなすものは心なりけり」と下の句を続けてやった。文学を愛し、世界を飛び巡りたいという夢をもっていた晋作にとり、動乱の中での青春は、さして面白いものではなかったのかもしれない。その不満を知った61歳の望東は、心がけ次第だと、優しく諭したのである。ページ95
謙虚であるということは、本能を抑えて、事実を正しく見ることがどれほど難しいかに気づくことだ。自分の知識が限られていることを認めることだ。堂々と「知りません」といえることだ。新しい事実を発見したら、喜んで意見を変えられることだ。謙虚になると、心が楽になる。何もかも知っていなくちゃならないというプレッシャーがなくなるし、いつも自分の意見を弁護しなければと感じなくていい。ページ316
…おやつを買いに駄菓子屋へ行って、50円までという決まりだったから、サイコロキャラメルを1つと、チョコレートと、あと何しようかと迷ったこととか、家に帰ってリュックに詰め込んで、枕元において寝るんだけど、興奮してなかなか眠れなくて…ページ224
人間にとって一番大事なのは、「自分は何も知らない」と自覚することだと私は思います。無知の知を知る。読書はそのことを、身を以て教えてくれます。本を読めば知識が増え、この世界のこと幾分か知ったような気になりますが、同時にまだまだ知らないこともたくさんあると、それとなく気づかせてくれます。ページ27
現在、日本では数十万人の認知症高齢者に胃ろうが設置されていると思います。私たちの調査では認知症であっても、言語的意思疎通が可能な時期に胃ろうについて意向を聞いておけば、圧倒的な割合で胃ろうを拒否していた可能性が高いことを強く示唆します。人生の終末にある方達に、その意向を尊重した、苦痛のない、平穏な看取りを私たちは用意できるのです。ページ174
傷口が開いた状態では、じゅくじゅくとした浸出液が出ます。消毒剤はこれに接するとすぐにその効果を失ってしまいます。消毒薬をつけても細菌は減少しません。むしろ、正常な働きをしている細胞まで破壊してしまうため、傷口を直そうとする働きをも止めてしまうのです。こうした傷の場合には、生理的食塩水や水道水で充分洗浄する方が、効果あります。そのあとで湿潤環境を保つための治療を行うのです。ページ116
もちろん習近平にとって、いわゆる「沖縄工作」の最終目標は米軍基地の追い出しにとどまらない。なんにせよ、中華秩序の再建を狙う「新しい皇帝」の習近平からすれば、近代における中華秩序崩壊の第一歩はまさに明治政府による琉球処分であったのだから。中華秩序の再建とは当然、その崩壊の第一歩の前まで時計の針を戻す、ということになる。ページ199
…父が少し狂っていて、エゴイストで、急にみみっちくなり、吝嗇漢になったことを、いわば「老醜」のサンプルみたいな人間になったことを江分利は心のどこかで感謝しているような気配がある。…年老いて、心が汚くなり、心がおとろえ、みにくくなっていくのは、これも自然ではなかろうか…ページ140
20年前、日本人旅行者は万人の笑い草になっていた。いつもカメラを構えて目にしたもの全て写真に撮っていたからだ。だが、今では誰もが同じことをしている。インドに行ってゾウを目にしたら、ゾウを眺めて、「私は何を感じているか?」と自問したりしない。スマートフォンを出してゾウの写真を撮り、Facebookに投稿し、その後は自分のアカウントを2分おきにチェックして「いいね!」をどれだけ獲得したかを見るのに忙しいからだ。下ページ232
ソーシャル・ビジネスの投資家の目的は、金銭的な利益を得ずに他者に手を貸すことだ。しかしビジネスというくらいだから、ソーシャル・ビジネスは持続可能でなければならない。つまり、経費を穴埋めできるだけの収益を生み出す必要があるソーシャル・ビジネスの利益は、一部がビジネスの拡大に再投資され、一部が不測の事態に備えて留保される。従って一言で言えばソーシャル・ビジネスは、社会的目標の実現のみに専念する「損失なし、配当なしの会社」と言えるだろう。ページ19