末政支店長に新事業開発室転勤のお願いをしていました。1991年のある日、「希望通り転勤が決まった、おめでとう」と言われました。しかし、外食事業部と聞き、「違います!」と言ったところ、「ちょっと待ってろ、人事と話をつける」、結局、新事業開発室の辞令がでました。岐路での出来事です。私の人生を左右する大きな岐路でした。別の道の結果は神のみぞ知るです。

私有のパソコンを持ち込み、新事業探索のみならず、環境ビジネスや花卉事業の企画書を書くことを仕事にしていました。会議の設営や議事録作成なども仕事でした。ある日、当時の社長も出席する会議の議事録を作成しました、井出専務に呼ばれました。「君は私にこう言ってほしかったんだね」を笑いながら私の議事録に判を押してくれました。会議では「シュンペーターの破壊的な創造」の話を最後に付け足しのようにおっしゃいました。これを「シュンペーターの破壊的創造の理念から言っても…」と主題に議事録を書きました。怒られることを覚悟していました。

当時、偉業書交流会「二木会(日産火災主催)」に頻繁に顔を出していました。川崎にも同様の異業種交流会をつくり、新しい川崎のスポーツクラブ(ザバス川崎店)の集客に役立てようとしていました。設立総会に井出専務にご挨拶をお願いしました。当然、日産火災の役員も出席の予定でした。ところが直前に日産火災の役員が欠席という知らせが来ました。当時の森下部長(取締役)に相談したところ、「格が合わないから井出専務の挨拶はなしに」との意見でした。早速、井出専務に「格が合わないので見合わせた方が…」と言いました。井出専務は「人間に格などない、私は君の応援にいくのだから、何の問題もない」と。実際の挨拶では、「この石原は、礼儀知らずのところもあり、皆さんが不快に思うことも多々あると思うが、やる気と人柄に免じて許してやってほしい」と。感激しました。